ドクダミは身近に普通にありほとんど誰でも知っている花だ。しかし薄暗くじめじめしたところに咲くし、それにあの独特の臭気だから近くでよく見た人は少ないだろう。目を凝らせば単純な形の中に複雑さもあり、一風変わった趣のある花なのだが。
真上から見た形には幾何学的な面白さもある。
蕾が開けかけていた。なんだかとても大切なものをそっと覗かせてもらうかのようだ。いやいやいろいろいっぱい詰まっていて、もしかしたらパンドラの箱を開ける気分か。
すっかり開いた花は、白い花びらの上に雄しべ雌しべの密集した棒が突っ立っていてそれなりにきれいだ。じつはこれは1つの花ではなく、棒の部分はたくさんの花の集まった花序で、花びらはその花序の下に付く葉で総苞と呼ばれるものだった。
棒の部分を拡大して見る。奥に緑の粒が並んでいるが、これが子房で一つの花の単位になる。そこから出ている3本の白いひげのようなものが雌しべで、並んだ子房の隙間から出ているのが雄しべ、その先の淡い黄色の塊が葯だ。葯から花粉が出る前に柱頭が伸び出ているから雌性先熟なのだろう。
一つ一つの花の形を確かめようと、棒を切って花序を断面の方から見てみた。薄緑の子房は3つに膨らみ、それぞれから花柱が出ている。これはたぶん3心皮性の花ということで、花柱は本来なら1つに合着するはずだがそれが不完全のようだ。子房のそれぞれの膨らみの下部から雄しべが出ているので雄しべは3個になる。葯は縦に割れて花粉が出始めているのが見える。これが一つの花で、元々はあったはずの花弁や萼は痕跡すら見当たらない。花の付け根のあたりに小さな突起が見えるが、これは小苞に相当するものだそうだ。
黄色く咲いた花を指で触ってもほとんど花粉は付かない。ヒラタアブが来て花粉を舐め取っていたが、一つの花にいる時間は短くすぐ次に行ってしまう。どうも花粉の量はかなり少ないようだ。じつは日本のドクダミは3倍体で有性生殖ができないという。つまり花粉は役に立っていないということで、それでは減ってくるのも当然かと思う。
膨らみだした子房を割ってみたら未熟な種子が出てきた。小さいけれども丸々として成熟しつつあることは間違いないだろう。しかし3倍体ということだと種無しスイカやバナナなどと同じで本来は種ができないはずだ。ヒガンバナも日本に移入されたものは3倍体で確かに種はできない。それなのにこれはどういうことだろう。ところでセイヨウタンポポは3倍体だが種ができる。それは減数分裂以前の卵母細胞から無性的に直接形成されるからだと聞いたことがあるが、ドクダミも同じ仕組みなのだろうか。
さてではなぜ日本のドクダミは3倍体だけになってしまったのか。一般に倍数が増えると生物体が大きくなるという原則があるそうだ。ドクダミは地下茎による栄養繁殖でどんどん増えるし、しかも3倍体でも種子ができるなら、もともとの2倍体を駆逐してしまってもおかしくない。そうすると病気や害虫などの蔓延で一気に絶滅する危険性も出て来るが、ドクダミは極めて強靭なためこれまでそんな目に合わずに済んできたのかもしれない。いやそれでももしかすると日本のどこかに元の2倍体がひっそり生き残っているかもしれない。日本中のドクダミをすべて調査できているはずなどないのだから。
ドクダミは次々と咲くから花期は長いが、このあたりでは梅雨の初めごろが花盛りだ。雨に煙る荒れ果てた路肩を一面に白く飾っているのは息を飲むほど美しい。
花の後は葉がどんどん増え、また大きくなると赤黒く色付いてくる。ちょっと気持ちの悪いような色だが、中には明るい赤でまた白い斑入りのものもあり、それらはきれいで園芸植物にもなっているそうだ。しかしそれでもこの独特の臭気は普通は好まれないのでないか。といっても人によりけりで、私も別に嫌いではない。葉をちぎったりすれば強烈だが、薄めれば森や林に微妙に漂っている自然の香りの一つだという気がする。
さてこの臭い物質には抗菌作用があり、生の葉は化膿止めの傷薬として確かに効くのだそうだ。しかし乾かしたり熱したりすると変質して臭いはなくなり効力は失われてしまうそうだ。とすると十薬とすら呼ばれ生薬や漢方として重用されているのは、生の葉の印象による気分的なものかもしれない。それよりこれを鉢植えにして病室にたくさん置いたらどうだろう。空気がこの臭いに染まるということは抗菌物質が満ちるということで全身に作用しそうだ。私はあまり経験はないのだが、病気になったらバラなどの馥郁とした香りはむっとし過ぎて気分が悪くなりそうで、逆にこのドクダミのある種の森林浴で嗅ぐような香りが心身を癒してくれそうな気がするがどうだろうか。